
(サム発行月報"虹の家"より抜粋)
「 私がまだ大学4年生だった頃、インドのカルカッタにあるマザーテレサの
施設を見学しに行ったことがあります。「死を待つ人々の家」と名づけられた
その施設には路上で命を失いかけた人が収容されて末期の世話を受けて
います。
そこでは世界中から自ら志願してきたシスターたちやボランティアの人達が
収容された人の為に献身的に働いています。
外部から来た人々の主な奉仕の内容は、その路上生活者の体を清潔に保
つため拭いてあげたり、排泄物の付いた布を洗ったりする事です。
ボランティアの中には長期にわたり奉仕活動を続けている人もおり、本当に
頭がさがる思いでした。実際に自分で体験するまでこんなに大変なことを、
赤の他人の為にしている人が居るということは知識として知ってはいても何
となく漠然としたものでしかなかったのでした。
奉仕活動のあれこれを見せられるにつけ考えさせられることも多く、ベッド
で寝ている人たちの間を歩きながら物思いにふけりました。
その時、私は優しい視線に気付き顔を上げました。年の頃は50過ぎの髪を
短く切った浅黒い痩せた男の人がベットの上であぐらを組んでいました。
もう幾ばくも命が残っていないであろうその老人は私に微笑みかけて
来ました。
彼の表情には恨みも不満も疲れも見られず、ただ平安だけが彼を覆ってい
ました。私はこういう状況で静かに優しく微笑むことの出来る老人に衝撃を
受け心を強く打たれました。
と同時に先程まで考えていたことに対する回答
が与えられたような気がしました。
『はっきり言っておく。私の兄弟であるこのもっとも小さい者の一人
にしたのは、私にしてくれた事なのである。』
(新約聖書 マタイによる福音書25章40節)
確かにその時私はその老人の中に神の存在を見たと思いました。
社会的に虐げられている者の中で共に生きる。この事が私に与えられた使命
だと感じるようになりました。 」

|